「速弾きはできないとダメ?」なのか。
考えてみました。
速弾きはできなくても良いの真意?
究極的な結論から言うと「そんなことは無い」です。
このページを開くまでもなく、ほとんどの方が想像していた答え。ただ今回は「でも速弾きって必要じゃね?」という視点でも考えてみます。
何の証拠データも無い、個人的な意見のオンパレードになると思いますが、個人サイトですのでご容赦ください。
さて、「速弾きって必要?」という疑問が浮かぶ理由の一つに、そもそも「速弾きが難しい」という大前提があります。必要かどうかだけで言うと「速弾きは必要、テクニック選択肢の一つとして。できなくても構わないが選択肢は減ります」でおしまい。
ここで考えていきたいのは「時間と労を費やして(他に費やせる分を失って)まで、習得するメリットがあるのか」ということ。「曲のコピーに絶対必要!」であれば必要ですが、そうでない人は習得すべきなのか。
判断材料として「音楽的に(表現方法として)どうよ?」という話も絡んできますが、注目したいのは「テクニック的な選択肢が増える以外に、どのようなメリットがあるのか」という点。
速弾きが”できない人”と”できる人”の意見
「”速弾き”はできないとダメ?」「音楽的に(表現方法として)速弾きってどうよ?」を考える場合
「弾けるけど、速弾きってどうよ?」と
「弾けないけど、速弾きってどうよ?」
では、視点が違うはず。
「付き合ったことあるけど、恋人いらない」と
「付き合ったことないけど、恋人いらない」
では、(闇の)深さが違うはず。
できる奴の「全然勉強してない」は怪しいけど
できない奴の「全然勉強してない」は信用できる。
というわけで、
・自分は速弾きができないし、必要ないと思う派
・自分は速弾きができるけど、必要ないと思う派
の2パターンに分けて考えてみます。
まずは、できない派から。
速弾きができない人の意見
できない人の意見として、(速弾きができなかった)過去の自分を振り返りつつ考えてみます。
・今コピーしたい曲に速弾きが出てこない。
・速弾き習得までに時間がかかり大変そう。
・難しくて、楽器が嫌いになりそう。
・速弾き好きって、なんかチャラチャラしてる。←偏見
・速弾き好きって、ピッキングニュアンスとか適当そう。←偏見
・速弾き好きって、バッキング下手そう。←偏見
・速弾き好きって、「BPMがすべてだ!」とか思ってそう。←偏見
・速弾き好きって、砂糖水でカラフルな長髪を逆立ててそう。←偏見
・ブランド品で全身固めた成金のような澄まし顔で弾いてそう。←悪口
・ソロで返しに片足置いた瞬間にアンプの線を引き抜いてやりたい。←ダメ
ざっと書き出してみましたが、酷い偏見の嵐。妬み、蔑み、おまけに悪口。半分冗談で、半分・・本音ですね。
スポーツなら「筋肉バカ」みたいな偏見でしょうか。筋肉を真剣に鍛えたことの無い人が、なんとなく「筋肉大きくしたがるヤツ→バカ」という思い込みをしているわけです。
ボディビルの世界、筋肉(体)を真剣に鍛えている人って、ものすごく頭を使っているらしいです。シビアに肉体のことを考え、実践。なので、他の種目のスポーツトレーナーとしても、ボディビル経験者が重宝されるんですね。※ちなみに、私は真剣に筋肉を鍛えたことはありません。
あと「ピッキングニュアンス適当そう」はともかく、「バッキング下手そう」は言いがかりです。むしろ、全体の割合で比べると「バッキングが上手い人」が多いでしょう。普通に考えて、速弾きが”できる人”の方が「ギター歴が長い」でしょうから。
速弾きができる人の意見
次にできる人の意見。
今回も(速弾きができる今の)私が、必要ない派の立場に立って考えてみます。
・速弾きができないことで楽器に興味を無くすなら、速弾きなんていらない。
・速弾きに意識を向け過ぎると、他の音楽的要素をおろそかにしてしまう(人もいる)。
・間違えた練習法だと、指がイカれる(腱鞘炎とか)。
・速弾きに練習時間を使いすぎるのは、もったいない。
・”速弾きができる人”が偉いわけではない。←当たり前
・最初の頃は、(速弾きにこだわらず)まんべんなく練習すべき。
・リスナーは、そこまで”速弾き”を望んでいない。
・ギターソロが「無意味な速弾き」になってしまう恐れがある。
・単に速弾き至上主義が嫌い。←”弾けること”とは無関係
こんな感じでしょうか。
「速弾きできない→好きな曲を完コピできない→楽器やめた」のパターンが、最も深刻。「速弾きができなくて悔しい!」よりも「速弾きってかっこいい!」というプラスのモチベーションで練習したいところ。
そして「間違った練習法だとケガをする」という危険性。あとは、「他の音楽的要素をおろそかに」という特定ジャンルへ暗にケンカを売るような意見と、「無意味な速弾き」といういかにもなレッテル貼りに・・最後は「速弾き至上主義が嫌い!」という話に落ち着きました。ここでいう”速弾き至上主義”は、”速弾きの難易度”だけでギタリストを評価する風潮(主にネット)と、速弾きは”他のテクニックに優る”という考え方です。
ちなみに、速弾きができる人の多くは、速弾きができることに対する優越感をそこまで感じていないと思います。「できること」のレベルが上がると、「できないこと」のレベルも上がりますし、「この程度の速弾きでドヤ顔するのは恥ずかしい」と比較する対象も変わってきます(※私の周囲ギタリスト調べ)。「俺(私)って、速弾きできるんだぜ!」と自慢しがちなのは、速弾き覚えたてのわずかな期間だけ・・おそらく。
【結論】速弾きはできなくてもいいのか?
「何言いたいんかようわからんが、結局のところ速弾き出来ても出来んくても、どっちでもええんか?」
いいえ。速弾きは、「出来た方が良い!」に決まっています。
というより、必要です。
特に、楽器演奏を「一生の楽しみにしたい」のであれば、速弾きは必要。
他では得がたい”メリットがある”からです。
左手の成長と進化
”速弾き”のスキルは、筋力ではなくて脳の神経回路によって成長します。他のコード弾きなどでも成長しますが、速弾きはその度合いが顕著。例えるなら「右利きだったけど、左手も使えるようになった」くらい、大きな変化を得ることができます(ちなみに速弾きを習得しても、左利き(右利き)にはなりません)。
速弾きはトレーニングの基本のような位置づけ。”体幹トレーニング”にも似・・てないですね。
メンタルの成長と安定
メンタル的な効果も無視できません。
速弾きが”できる”自信を付けるというより、速弾きが”できない”劣等感を無くすという意味で、速弾きはできた方が良い。
”劣等感”というと人聞き悪いですが、「あ・・この人速弾きできるんだ」の「あ・・」で一瞬浮かぶ感情の色は濁っていないか、一度考えてみてください。逆に自分より速く弾けない人をみて「あ・・この人速弾きできないんだ」と思った瞬間の「あ・・」は汚れて(略)。
曇りなき眼で速弾きができる人(できない人)を見ることのできない方は、悟りを開くより”速弾き習得”の方が近道です。
もちろん「そんな劣等感、感じていない!」という方にとっては余計なお世話。
また、「この単音カッティングのミュート難しぃー」「スウィープ奏法の左手激ムズぅー」などの壁が立ちはだかったとき、「でも、速弾きはあれだけ練習してできるようになったし、今回も練習あるのみ!」と、成功体験をモチベーションに利用できます。
「脳科学の本」によると、成功体験とノウハウは、別の壁を乗り越えるときにも役立つそうです。
脱力とは何かがわかる
テクニック的なメリットとしては、これが一番大きいと思います。
速弾きは基本的に、筋力だけでは習得できません。成長の過程で、必ず”脱力状態”を経験します。”脱力”ができていない人は、腱鞘炎という谷に落ちます。
音楽の幅が広がる
これまで「この曲は速弾きがあるから、コピーするのやめとこう(速弾きの部分だけアレンジしよう)」と諦めていた曲にも、チャレンジできるようになり・・
「あの曲もこの曲も・・完コピできる!そうだ、ずっと憧れていたあのギタリストのギターを買おう。雑誌で語ってたあのエフェクターも買って、あのアンプに繋いで」
(数日後)「ギター届いたけどなんか違・・ペイントか!よしっ」
(数日後)「ペイント乾いたし、いよいよ憧れのギターで、あれ、構えてみたらなんか違・・服か!」
(数日後)「メイクもアクセサリーも合わせないと。髪色も変えて、最後は髪型・・あれ、スプレー切れてるな。(カタカタ)ふむふむ、砂糖水で代用できるのか」という道を進むのは自由ですが、そんなあなたを一部のギタリストは偏見の目で見るでしょう。
以上が私の意見です。
具体的な練習方法については、「速弾きの練習法とコツ」をご覧ください。
速弾きが”今”できないからという理由で、楽器を諦めないでください。腰を据えて練習すればいつでも習得できますし、後回しにしても構わないテクニックです。音楽は楽しんでナンボ!
ありがとうございました。
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