読点の、意味 欅坂46『月曜日の朝、スカートを切られた』歌詞解釈!

欅坂46『月曜日の朝、スカートを切られた』。
インパクトのあるタイトルに引かれて。

『月曜日の朝、スカートを切られた』!


(作詞:秋元康  / 作曲:饗庭純 / 唄:欅坂46)

欅坂46 『月曜日の朝、スカートを切られた』

欅坂46 『月曜日の朝、スカートを切られた』

物言う被害者が「No」と抗議、署名活動を行っているらしいこの曲。

署名活動

実際にスカートを切られた被害者女性の方が、この曲の表現に「怒りや不快感」を覚え、その主張に賛同する方がいるということらしい。署名の具体的な目的は不明ですが、こんな騒動が起きていたんですね。

特に都会だと、ほとんどの女子学生が1度は痴漢被害に会った事のある世の中(私見)。「痴漢で有名な地下鉄」「夜道で車に引きずり込まれそうになった」という話も珍しくありません。現実として、性的な被害が蔓延しているこのご時勢。

アイドルソングの影響力

もちろん、今回の署名活動に「反対」の意見もあります。

『月曜日の朝、スカートを切られた』は、かなり敏感な曲のようです。私はどちらの意見にも共感できますが、なるだけ距離を取りたい(サイレントマジョリティーでいたい)。

ただ、「この署名活動がくだらない」という反対意見には反対です。マイノリティが声を上げて、賛同者を集めていく「戦い方」は基本。ただし、今回の主張が「強い」とは思えません。

「歌の影響力」はまだまだ大きいのだなと感じます。良くも悪くも歌は洗脳に使えますから、多感な学生がこの曲を聴いてどう感じるのか気になります。youtubeだと現在約500万再生。一人10回再生したとしても50万人が聴いている・・すごいですね。

『月曜日の朝、スカートを切られた』歌詞解釈!

タイトル文字のインパクト。刃物でスパッと書いたようなデザイン。自転車女子に、映像ラストで『サイレントマジョリティー』の工事現場が映っているので、この2曲は繋がっているということでしょうか。

※歌詞は無料歌詞検索サイトなどをご覧ください。

”嘘”に敏感

”真実”とは。
後の歌詞「努力は報われますよ」「人間は平等ですよ」あたりの”嘘”しか教えない学校。「理想論、きれいごとを語ってんじゃねえよ。現実はもっと汚いだろうが」と言いたいのでしょうか。

”勉学”ではなく”スポーツ”としたのは、「スポーツ→チームワーク」と言いたい?”見せかけの愛”と感じているので、主人公は人間関係の「きれいな部分」だけを謳う教師に引っかかっている?

”勉強”にすると、「勉強→受験→真実」になるので「スポーツ→受験には必要ない→嘘」とも(無理やり)読めます。『サイレントマジョリティー』的には「群れ」「ルール」がハマる歌詞。

”作り笑い”も”見せかけ”も。「嘘」に敏感な曲。

サイレントマジョリティー

歌詞から受ける印象は「普通の学生」。
このまま進むと、サイレントマジョリティーへ一直線。

あと何年だろう」→時間が長く感じる→同じことの繰り返し、退屈?

”熱いものもなく”なので、主人公に「絶望」ほど強い感情は無く、『サイレントマジョリティー』でいうところの「死んだ目の大人」に近づいているのかもしれません。

「嘘に慣れる→大人になる」、「大人」の条件を追加。「アイドル」は嘘ではなく夢・ファンタジーという設定で良いのでしょうか。「作り笑い」や「見せかけの愛(擬似恋愛)」はブーメランで返ってこないのか。

それもわかった上で応援するファン、江戸っ子風に言うと「粋」ってやつ?問題は「受け取り方」で、この曲で「夢・元気・希望」を受け取る人もいる、そして署名活動をされている方のように「不快感」を感じる人もいる。視点を広げても興味深い曲です。

読点

月曜日の朝、スカートを切られた

この流れで見ると「読点(、)」が目立ちます。無感情で書いた一言日記のよう。今のツールならツイートっぽい。小さい切り傷のようにも・・無理があるか。

ネットで知る」なので、ネットで誰かに”真実を”伝えたいという可能性も。

ここで、主人公の「女子学生」設定が確定。

日曜日の夜「サザエさん」ではなく、月曜日の朝「通学電車」。憂鬱な月曜日、ブルー・マンデー

白と黒

wikiによると、この曲は欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』のリード曲とのこと。

”暗闇”は暗いイメージの他に、「真っ白なもの」と繋げてもいいかもしれません。

→スカートを切った犯人
→切られた女子学生

犯人がスカートを切った動機が”憂さ晴らし”なので、目的は「性欲の発散」より「真っ白なもの(女子学生)を汚したくなる」欲求のようにも思えます。

自分(黒)と同じ色に染めたかったのか、白にむかついたのか、誰かに(心理的に)切られた八つ当たりか、単に切り裂く快感(ジャック・ザ・リッパー的なやつ)か。

悲鳴”なんか”上げない

さて、「私は悲鳴なんか上げない」この”なんか”が一つ問題箇所となっているようです。

「なんか」という語に含まれているのは、諦めや絶望だけだろうか、という問いも立てられて然るべきだ。(中略)悲鳴を上げること(それが襲撃者の存在を拒絶する強さなのか、襲撃者や周りの傍観者に弱みを見せることなのかはともかくとして)を潔しとせず、黙することを、諦めや絶望からくる消極的選択でなしに、積極的に引き受ける態度であり、抑圧の容認を是とする宣言である。こうした、社会の(性犯罪者にとって都合のいい)「秩序」を維持する判断を歌詞が押し出していないと否定するに足りる根拠はないだろう〉

「悲鳴なんか上げない」という歌詞にある男性目線と想像力欠如|LITERA/リテラより

なるほど。現実に「この歌詞を見てそう感じた」というのは事実ですから、否定はできません。

作者が「そういう意図で書いたんじゃない」と言っても解釈するのは受け手。世界で最も読まれた聖書でも解釈は様々。公会議で代表者があれこれ決めても、腐敗、宗教革命と争いが起きていますから、”歌詞の意味・意図”を秋元氏が発表しない限り、こうなることは仕方が無い。

ちなみに、私はこのような解釈で読みました。

前述のように犯人の目的が「性的な欲求の解消」ではなく「真っ白なものを汚したい、被害者の反応を見たい」だとすると、”悲鳴なんかあげない”は「お前の憂さ晴らしに、付き合わないよ」とも読めます。

「(犯人は期待しているかもしれないが)悲鳴なんか上げない」。とにかく嘘に嫌悪感を抱く主人公なので、自分の感情に「嘘」を付くことにも抵抗があるはず。「抑圧の容認を是とする宣言」の「抑圧」は、違うかなという気がします。歌詞的には「切られたことに対して、肯定的に捉えている」可能性さえあります。

ただ、現実の(悲鳴を上げない)被害者女性はもちろんそうではない。

悲鳴を上げない、強さ

また、「スカートを切られる」だと性的な犯罪のイメージが強いので、「いじめ」に変換して解釈するリスナーもいるでしょう。「声を上げない、いじめ被害者」が(おそらく)マジョリティーの世の中で「(悲鳴)を上げない、強さもある」という風に(間違った方法であったとしても一時的・その場しのぎ的に)励ますメッセージだという受け取り方もできます。”抑圧(抑制)の容認を是”→励ます。

いじめが日常風景の学校で小・中と育った私としては「誰かに相談する」「いじめた相手に声を上げる」ことで悲惨な結果を招く、という例をいくつか目にしました。

画的にインパクトのあるものだと「全裸〇〇、各種失神ゲーム、コンセント(のフタを外して)ビリビリ、名札ピアス、スプレー髪燃やし、ドブ川遊泳・チャリ沈め、殺虫剤ごはん」その他(書いちゃダメそうな)モロ犯罪系。

男子は個室トイレ水浴びやズボン下げ、飯捨て、画鋲、一方的肩パン・ケツバットなどよくあるやつから始まり、だんだん画的に過激なモノ(見世物系)を追求していく傾向。女子は見える範囲では一切笑えないモノ(性的なやつとか)、見えない範囲では無視・仲間外れ・(携帯含む)悪口が多かったようです。カメラ付き携帯電話の罪は重い。

ちなみに、数々のいじめを見た私が残酷だと感じたのは、提出物破り。「〇〇、ノート見せて~」で写してからのビリビリ、クシャクシャ。内申点に関わるので(公立高校に行くため)その子は貼り合わせて提出しますが、先生も感覚が麻痺していて「またなん〇〇くん、ボロボロやん。見るの大変やねんで。もう△△(いじめっ子)がやったんやろ~、やり返したり!」日常会話風の気味悪いやりとり。女性の先生も大変だったと思います。

教師も、心の病気や暴行(行き過ぎた体罰)などで頻繁に入れ替わっていました。前科(性犯罪)のある先生や、生徒にキレて歯や骨を折った後(人手不足で)しばらくして戻ってきた先生、漫画のようなマンモス校でした(TVニュースになったことも)。ただ、代わりで来られた講師の方々は、面白い人が多かった記憶。※面白い教師は生き残れます。

平和な地域の学生が『リリイ・シュシュのすべて』系の作品を観ても「こんなの、映画だけでしょ」と感じるかもしれません、でもヤバイところ(公立中学)はヤバイ。死はそんなに、遠くない。あと”エキセントリック”は、いじめる側にもいる(むしろ多い)。笑

(いじめる側含め)皆ターゲットにならないよう毎日必死で、私を含め、皆生き残るためのコミュ力を付けていた様に思えます。

あと関係ないですけど、環境のせいなのか、もともとの性格かわかりませんが「人の不幸話で笑う」乃木坂46の橋本奈々未さんには強く共感します。笑

一時的な救い

「いじめられたら、声を上げろ!」というメッセージが、果たしていじめ被害者に勇気を与えるかどうか疑問です。それよりも、現状(悲鳴を上げない状況)を励ます歌詞の方が強い。いじめ自体が理不尽なことなので、被害者がいくら「理由・解決方法」を考えても現状が変わらないこともあります。絶対的な解決策が無い以上、一時的な「救い」として、こういう歌があって良いと私は思います。

「切る」という言葉は、自傷行為(リストカット)をイメージさせ「溜まったストレスの解消」に繋がるかも?

というより「切る」という言葉が、なんだかスッキリします。※やばいヤツではありません。笑

夢と希望

車かい」と「社会」はかけているのか。

満員電車→朝の通勤、大人にもまれる、スカートを切られる(ストレス発散の餌食に)。
各駅停車かい→「あと何年だろう」と思っていた学生時代と変わらず、先は長い。

『サイレントマジョリティー』の「人が溢れた交差点」ではなく、「満員電車」。各駅停車なので「降りる」選択肢は多数あるが、”夢も希望もない”。

”努力は報われる”と”人間は平等”を「嘘」だと感じる主人公。

法の下の平等か。被害者は女子なので、性別的な話か。
宗教でいう平等(※人間の一つ上の存在(神)から見ての平等。聖書の「ぶどう園の労働者」でみられるように、他者と比べる平等とは異なり、神視点で「人間を平等に愛したい」)・・ではないか。

大人→幸せじゃない。

死んでしまいたい→愚か。
この歌詞も「普通の学生」。

目立たないように

声を上げてもいないのに、何故目立つのか。「真っ白というだけで、黒い大人たちの中では目立つ」と読んで「だから女子学生が標的にされた」と繋げるのもあり。

息を止めろ→声(悲鳴)を上げない、死んだ目?

切られながら生きている

切られながら生きている→受験、人間関係、心、時間、雇用、ボーナス?
血が流れて、真っ白でなくなり・・。

「身を切られる思いで嘘を付いたが、繰り返しだんだん”嘘に慣れ”、大人になる」いろいろと妄想できそうなワードです。

あんたは私の何を知る?

よく晴れてた朝、スカートを切られた

”よく晴れてた朝”が怖い。不幸な出来事があった日は「曇り」や「雨」じゃないのか。怖い。

どうして学校へ行かなきゃいけないんだ」から、制服の「スカートを切られた」ことを”きっかけ”と捉え、「私を縛り付けていた制服を切られて、すがすがしい」のように解釈・・いや、うーん。

暗闇で(人に気付かれず)溜め込んだストレスを、憂さ晴らしに明るい朝(人に気付かれるよう)・・違うか。

”無視された”は犯人、女子学生どちらでも読めます。

”無視された”のが犯人なら「無視された社会の隅→どこかの暗闇」として、「孤独、自分はここにいる、それだけ伝えたい」がスカートを切った動機。

”無視された”のがスカートを切られた女子学生なら、一言日記、ツイートような読点フレーズ「よく晴れてた朝、スカートを切られた」も、「自分はここにいる それだけ伝えたい」につながります。

映像で自転車をひっくり返された女の子、憂鬱そうな子、独りぼっちの子、踏み切りで叫ぶ子あたりを見ると「孤独」なのは女子学生の方でしょう。となると、「いじめ」につなげて、「通学電車」でスカートを切ったのは「学生」とも考えられます。

どちらにしろ、スカートを切って”したり顔”の犯人に対し、女子学生「あんたは私の何を知る?」。周りの大人(見せかけの愛で近づく教師)に言っている可能性も。

雑で妄想多めの解釈になりました。
ダウナー系の歌詞に、歌メロも不思議な魅力があり、好きです。

以上です。
ありがとうございました。

スポンサーリンク
関連コンテンツ